the ruins of a castle


 太陽が昇ってどれくらいたっただろうか。薄ぼんやりとした意識を奮い起こして、ザックはテーブルから顔を上げた。
「何て顔してるのよ。」
 赤毛の髪がサラリと落ちる。綺麗な瞳が笑っていた。
「だいだいうちは酒場なのよ。モーニングはやってないっていうのに。あんなに人を連れて来て。」
 そう言う彼女は決して怒っているわけでは無い。
疲れ果てて自分を頼ってくるこの男を何故が憎めない…それが彼女の感想なのだ。
「だって、此処しかうかばなかったんだよ。」
 そっぽを向いたザックの目の前にトンとコーヒーが置かれる。顔を上げると、エルミナの笑顔がザックの前にある。
「サービスよ。いい男が台無しだわ。」
 一瞬、ザックは耳まで赤くなった。
「俺はいつだって…その、いい男だ。」
「そ?」
 エルミナが笑う。切り姫だった彼女は、切ない程に綺麗だった。けれど、今屈託ない笑顔を見せる彼女も自分を惹きつけてやまない。
「でも、学者さんてタフねぇ。まだ外で何かやってるわ。あれって何なの?」
 窓の外に目をやるエルミナを見ながら、興味なさそうにザックが呟いた。
「エルウの祠…の残骸。」
「あれが?」
「みたいなものだとよ。俺にはよくわからねえ…。」

「よくあそこまで探せましたわね。」
「…ニコラさんのお陰だよ。僕には瓦礫以外のものには見えない。」
その台詞に、セシリアは口元を手で隠し可笑しそうに笑った。ロディも笑う。
「呑気に青春してるわね〜。」
少々忌々しそうにエマが呟くのを聞きながらニコラも笑った。
「君にもああいう時があったじゃないか。」
「こんなにコアなラブレターは見たことがないわ〜とか、このマニアックな感情表現の複雑相乗効果は〜とか言いながら仲間内に見せていた…。」
 そこまで言ったニコラの顔の横を長さ30センチはあろうかというスパナが横切っていった。
「手が…。」
キラリと眼鏡の奥の目が光りを帯びる。
「手が滑ったわ…。」
 さっきまで、ピンセットを手に持っていただろうというツッコミを入れる程、ニコラの心臓には毛が生えてはいなかった。ボスッという鈍い音とともに、酒場の前の砂地に深く突き刺さったスパナを横目に、沈黙する。
 それは、横で見ていたロディとセシリアも同様で、完全に固まった。
 気を効かせた街の人が(カッパの軟膏)か(マジッククレンザー)を持って来てくれたとしても、その人物を責める事は出来ないだろう。

「やっぱ学者さんて凄いわねぇ〜。」
窓際で、様子を眺めていたエルミナがカラカラと笑っていた。単に面白がっている。 「…最強だ。あのオバハン…。」
その横でうんざりした顔でザックが呟く。
「あら、どこからがオバハンでどこまでがお嬢さん?」
 エルミナの台詞に、ザックは目をパチパチと瞬かせて、こう答えた。
「とにかく…あれはオバハンだ。」
「ふうん〜。ま、いいわ。私行って聞いてみようっと。」
 足取りも軽く扉に向かったエルミナを、ザックは慌てて呼び止めた。
「オバハンなんて言ったら、お前が殴られるぞ!!」
 きょとんとザックを見返した瞳が、細められる。そして、くすくすと笑い出した。
「莫迦ね。あの残骸がなんなのか聞いてくるって言ってるのよ。」
 赤面したまま、今度はザックが固まった。


 エマは、その黒髪を下からすくうようにして持ち上げると、またパサリと降ろした。そして、ザックの顔を舐めなめつけるように見る。蛙を睨む蛇。
本人にその自覚はないのだろうが…。
「説明したじゃない?」
「あ〜?そうでしたっけ?」
 そっぽを向いて、頭を掻きながらながらザックは答えた。目は完全にあさっての方を向いている。
「彼女に格好良くみせたいのなら、それくらい覚えておくことね。」
 エマはザックの横にいるエルミナを見てから、鼻息あらくそう言った。しかしエルミナはカラカラと笑う。
「彼女じゃないわよ〜。お友達よ。」
 瞬間、事情を知っているロディとセシリアは同情の瞳をザックに向けた。
「んな目で見んなよ。」痛い視線にザックが唸る。
「まぁいいわ。ニコラ説明してあげてよ。」
「僕がかい?」
 最初から人に振るつもりなら、絡まなければいいのだろうにニコラはそう思ったが、科学者たるもの講釈好きなのには違いない。文句も言わず立ち上がった。
 ロディや、セシリアも興味をそそられるのか残骸の横に移動する。ザックは、遠目で面白くなさそうにそれを見ていた。
「さっき、貴方が聞いてきたけれど、これは、『エルウの祠みたいなもの』ではなくそのものなんだよ。ただ、その性能が少し違ってように思えるのだけれど。」
「これ、エルウの祠なの?」
 それは、エルミナの好奇心を刺激するのに十分だったらしく、彼女は残骸の前に座り込み、まじまじと見つめる。小さな破片が布の上に並べられた中に、紅い宝玉があった。端が少し欠けているものの、鈍い輝きを宿している。
「これは何?触ってもいいもの?」
「だめだそいつは!!」
 エルミナの背後からその手を掴むと、強引に引き離す。
「トラップが…。」
「あるわけないでしょ…。」
 エマの声にザックはやっと我に返った。エルミナを抱きすくめている状態にしばし硬直する。エルミナは驚いた顔はしていたが、ザックの手を振り解こうとはしなかった。
「あ…?」間の抜けたザックの声に、ニコラが笑った。
「残念ながら、君が発動してしまった時点でこれはただの飾りものになってしまっています。害はありませんよ。」
「ですって。」
 ザックの腕の中で、エルミナはくるりと顔だけ向きをかえる。
 唇がふれそうな距離に、ザックは部屋の隅まで飛びすさった。 「すすす、すまない。」
「いいわよ。私を守ろうとしてくれたんでしょう?気にしてないわ。」
「…あの状態で気にされないのも男としてどうだろね。」
 ひょいと横から現れたハンペンがロディの頭に乗る。
「それは、ザックに失礼ですわ。」
 セシリアが眉を潜めた。「男ととして認められてないとおっしゃているようなものですから。」
「セシリア(汗)」
 ハンペンには悪気はたっぷり含まれていたのだか、セシリアに悪気は無く、ザックの痛い視線にも同情の余地はあった。
 このまま流すしかない。ロディは引きつった笑顔のままニコラに声を掛ける。
「ええと、それで、これのどこがエルウの祠と違うんですか?」 「そうそう、早く聞きたいわ。」
エルミナの同調もあって、会話はあっさりと元の軌道に戻る。
「決定的な違いはひとつだけだ。ルウの祠は、行き来が可能だが、これは一方通行なんだ。それも、送る事しか出来ないようなんだよ。」
ニコラの話を整理したロディは、自分の思いついた意見に愕然とする。
「これが、あの魔獣達を砂漠に送っている可能性がある…?」
「さすが我が配下ね。かしこいわ!」
 エマは、両手でロディの頭を抱えるようにして抱き締めた。必然的にロディの顔面はエマの大きな胸に押しつけられることになる。胸の谷間を目の前にして無反応でいられるほどに、ロディも子供では無い。
「は、博士ちょ、ちょっと…!!」
 真っ赤になってその腕の中から抜け出した。
「あ〜ら真っ赤になっちゃって可愛い〜」
「エマ博士!」
 見ると横でセシリアも真っ赤になっていた。あのッそのッと言いながらエマに抗議の声を上げる。
「破廉恥な事をなさらないで下さい。ロディが困ってます。」
「お姉さんは困ってないと思うわよ。寧ろ嬉しいはずよ。」
おもうさまキッパリ言い切られ、セシリアも返す言葉が無い。
誰も私の話など聞いてくれないのかと、俯き加減のニコラに、エルミナが問い掛ける。
「だから?」
「はい?」
「だから、続きよ。一方的に魔獣を送っている可能性だかなんだかの続き!せ・つ・め・い。」
 最後は指を振りながらのおねだり。早くね。…と催促され、ニコラの胸は喜びに溢れた。所詮科学者たるもの、講釈を聞いてもらってナンボの人種である。
「いいかい、見たこともない魔獣は今まで何処にいたと考えるのが正しいと思うかね。私は、人が接触することもなかった孤立した場所。たとえば、エルウ界のようなところにいたのだと考えるよ。それが、このエルウの祠によって砂漠に運ばれて来たと考えれば、急に現れた事の理由付けにもなる。ファルガイアの砂漠は、太古の激戦地で、エルウの兵器のようなものも数多く発掘されている。しかし、一方的に送り込むというのは、ゴミを捨てる行為よく似ている事から推察される解釈は…。」
「だいたい、誰がなんの為にやっているのかしらね?」
 エルミナはそう呟くとニコラの顔ジッと見つめて答えを待った。「それは、僕には答えられない。」

 ニコラはそう言って困った表情を浮かべた。 「推測は幾らでも出来るんですが…。さっき言いかけた事もその 一つですけれど、しかし、それは真実ではありません。真実は、その目でその手で確かめるしかないんですよ。」
「そうね。そうだわ。」
 エルミナは納得がいった様子で大きく首を縦に振った。
「貴方の推測を聞かせてくれる?」
「僕は、魔獣を捨てていると推測しているんですよ。もしも、征服目的で送り出しているのなら都市を襲わせるでしょうし、人目を隠れて送り出すというのにも、都から遠すぎます。その証拠に、村まで魔獣達が来たという話は一度も聞いた事が無いのです。」
 部屋の片隅で膝を抱えていたザックが、両手を床につきながら話をしているエルミナとニコラの間に割り込む。
「でも、現に商人達は襲われたんじゃないのか?俺達が行った時だってざかざか出てきてくれぜ。」
「だから、そいつらも目的が無いから、吐き出されたとこでウロウロしてるんじゃないかっ」てことよ。」  しゃがみ込んだままのザックの肩に肘を乗せ、その手の甲に顔を置くとエマはそう言った。  もう片方の手は腰に当てられている。 「誰かさんが吹き飛ばしてくれなければ、もっと良くわかったかもしれないのにねぇ〜。」
「俺かよ?留めを刺したのはっ…。」
 苦情を言おうと再チャレンジしたザックの頭にエマは体重を掛けた。肘がザックの頭にめり込む。ゴリッという鈍い音と共にザックは頭を抱えて前につっぷした。
 エマはそれを踏み越えて、明後日の方向に指を指す。
「そいつらが、廃棄物だろうと、不法投棄だろうとこれ以上面倒をかけてもらっても困るのよ。国家予算はそんなものに使うより、新しい技術革新に使用するべきなのよ!!!」
 その台詞にあまつさえ城の地下に秘密基地まで造られてしまった公女セシリアは溜息をついた。
「エマ博士…そう言う本音はひっそりとお願い出来ますでしょうか?」


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